1998年のスタートから16年もの間、世界中を巡って来た音楽学校のRed Bull Music Academy(以下RBMA)が日本に初上陸し、10月12日から11月14日までの1ヶ月間限定で、渋谷の中心に音楽アカデミーが開校されました。
今年で16回目を迎えるRBMAには、世界の6千を超える応募者から選ばれた59名のプロデューサー、ボーカリスト、DJが34カ国から生徒として参加しました。生徒はRBMAのためだけに用意された建物内で著名人によるレクチャーを受講し、参加者同士で刺激を与え合いながら制作に励みます。
Photo:Dan Wilton
出典:Red Bull Content Pool
今回のRBMAのスタジオは、建築家の隈研吾氏がデザイン設計を監修しており、最先端の機材が揃ったメインレコーディング・スタジオは、世界で11カ所目のRed Bullスタジオとして、国内外のアーティストが自由に使用できるハブスペースとして利用されます。
RBMAではこのようなベッドルームスタジオを8つ完備
Photo:Dan Wilton
出典:Red Bull Content Pool
このメインスタジオの専任エンジニアとして来日したエリック・ブロイヤー氏に取材を行い、音楽制作に関する世界的なトレンドや今後の方向性について伺いました。
自分の壁を打ち破った先にある創造性の体験
ーーRBMAは音楽で生きていくことのモチベーションを与えてくれるアカデミーですが、どのような経緯で設立されたのでしょうか?
RBMAの創設者が、1997年から1998年頃にこのアイデアを思いついたのですが、当時の音楽やカルチャーに見られたジャンルごとの壁を超えた交流の場を作りたいと言う思想がベースにあります。
それぞれ異なる文化背景のアーティストが集まり、交流して、それぞれの国へ経験を持ち帰って、それを活かしてもらうことこそがRBMAの目的です。
RBMAは歴史や論理だけに注目している訳ではなく、各ジャンルで活躍しているミュージシャンなどを招いて、彼らと生徒による、腹を割った交流が大事だと考えています。
そう言う方法でしか伝えることができない物があると確信しており、これがRBMAの原点なのです。
ーーRBMAではどのような環境で制作について学んでいくのでしょうか?
スタジオ・セッションでは、30人の生徒を1つのグループとし、その30人に対して、8つのベッドルーム・スタジオが用意されています。
このような、3〜4人が一緒にスタジオを使用しなければならない状況により、自ずとコラボレーションが生まれる様な環境を作り出しています。
自分の壁を打ち破ったコラボやセッションの先にある創造性こそが、RBMAで体験してもらいたいことなのです。
ベッドルームスタジオでの制作風景
Photo:Dan Wilton
出典:Red Bull Content Pool
ーーRBMAの8つのスタジオには制作ソフトがインストールされたMacが完備されており、その他にTR-808やMPCなどのハードウェア機材が用意されていますが、これらの機材はどの様な経緯で選ばれたのでしょうか?
やはりRBMAに参加する生徒が最も使用している機材であり、生徒からの要望が多い製品を選択しています。
ーーRBMAではクラブミュージックを中心としたエレクトロニック・ミュージックに関わるアーティストの起用やパーティーが多いですが、クラブミュージックに特化している理由を教えてください。
RBMAをスタートした90年代後半は、クラブミュージックが非常に盛り上がっていて、現在のクラブミュージックの中心地であるベルリンでエレクトロニック・ミュージックを制作している人達が集まって、色々なアイデアを交換することによって創設されたと言うことが大きな理由です。
回を重ねて行くごとに徐々に広がっていき、RBMAが大きくなっていく中で、音楽性の幅も広がり、より多彩になってきました。
ーー各国でRBMAを開催した中で、それぞれの場所で楽器やアーティストにおける地域性や独自性、もしくは共通点などは感じますか?
音楽の制作者は、回りの環境に影響を受けながら制作していると思います。生徒もまた、RBMAが開催された都市ごとに刺激を吸収していると思います。
RBMAはどこの場所で開催されていても、世界中から集まり、普段は自分が触れることのない音楽をやっている人と出会って、そこで一緒にコラボレーションすることで、新しい経験、実験をする機会を設けると言うことが重要です。
今回東京で開催したことで、生徒は東京から刺激を受けながら制作を行っていると思います。
レコーディング・スタジオでの受講風景
Photo:Dan Wilton
出典:Red Bull Content Pool
エレクトロニック・ミュージックにおいて日本ほど影響を与えた国はない
ーー日本の音楽シーンについてはどのようなイメージを持たれていますか?
日本には、ニッチなジャンルやアンダーグラウンドな音楽でも、それに情熱を注いで、ものすごく真剣に取り組んでいる人達がいますね。
例えば、海外では忘れ去られたり、誰もやっていないような音楽でも、東京に来るとしっかりとムーブメントとして盛り上がっているのはすごくいいことだと思います。
また東京では、今でもしっかりレコードを買えるのも素晴らしいことです。
世界の他の国では、音楽自体が盛り下がり、存在感が薄くなっている中で、東京は非常に健全だと感じました。
ーー日本にはRolandやKorgなどの楽器メーカーが存在しますが、日本のメーカーが製造する楽器に対する印象はいかがですか?
ドラムマシーンやシンセサイザーなどがありますが、特にエレクトロニック・ミュージックにおいては、日本ほど影響を与えた国はないと思います。
Rolandのドラムマシーンや、KORGとYAMAHAのシンセにしろ、その登場なくしては、エレクトロニック・ミュージックは今のような音楽ではなかったと思うし、これら多くの画期的な製品により、新しいサウンドが生み出されたと思います。
これらのメーカーからの新しい製品の発売や、かつて人気だった機材の復刻から分かるように、エレクトロニック・ミュージックのシーンに与える影響は今でも大きいと思います。
ベッドルームスタジオでの制作風景
Photo:Yasuharu Sasaki
出典:Red Bull Content Pool
ーー世界的に人気のあるソフトやハードウェアは何ですか?
アナログ機材をエミュレートしたソフトウェアの人気がすごく高いです。全ての人が大きなスタジオを持てる訳ではないので、そう言ったソフトはすごく人気ですね。
金銭的な要因だけではなく、最近ではアーティストも移動が多く、ラップトップだけで世界のどこでも音楽を作れる利便性も人気の理由だと思います。
そのようなソフトは、まだ本物には適わないかもしれないけど、本物のサウンドに近づいていると言う部分も大きいですね。
ーー生徒の多くはAbleton LIVEを使用していたように思いますが、RBMAでは人気が高いのでしょうか?
そうですね。Ableton製品は非常に柔軟性があり、直感的なので、制作だけではなくライブ・パフォーマンスにも使用できるので、人気は高いですね。
その場で思いついたアイデアをすぐにレコーディングして、そのサウンドをタイムストレッチするにしても、ループするにしても、それらを簡単に行うことができるので、非常に多くのクリエイターが使用しています。
ーー現在では音楽系のアプリが多くリリースされていますが、ソフトウェアが開発されてから、ハードウェア主体の制作からソフトウェア主体の制作に移行していったように、今後アプリが活用される可能性はあると思われますか?
結局は制作者の創意工夫によるものだとは思いますが、アプリにおける落とし穴としては、搭載されているサウンドやプリセットが限られているので、それだけに頼ってしまうと同じサウンドになってしまうと言うことです。
やはり本物の楽器を使って色々なサウンドを作ったり、パソコン上のソフトウェアにたくさんのサウンドを貯めて、それを引き出して作るのに比べると、制限がある中で制作を行うことになってしまいます。
RBMAの象徴とも言えるレクチャーホールの様子
Photo:Yasuharu Sasaki
出典:Red Bull Content Pool
ーー音楽のストリーミング配信により音楽が売れない時代となりましたが、海外のアーティストはどのように活動しマネタイズしているのでしょうか?
確かに音楽を制作するだけで収入を得ることは難しい時代になりました。レコードを聴く人が少なくなっているなかで、多くのアーティストはライブやツアーなどのパフォーマンスをすることで、それを収入源にしています。
現在ではアルバムなどのリリースが、世界中でパフォーマンスを行うための名刺代わりと言う位置づけにあります。
収入源と言う視点では、リリースよりもパフォーマンスに移行していると言うことは確かだと思います。
ーー海外ではあまりレコードは聴かれていないのでしょうか?欧米のレコードの生産量は増加していると認識していましたが、いかがですか?
おそらく、レコードの生産増加の要因としては、旧譜の再発によるところが大きいのではないでしょうか。実際にレコードを購入しているのは上の世代で、若い世代ではないと思います。
DJにおいて、レコードでプレイしているDJが少ないと言う現状が、それを物語っていると思います。
プロになるためには音楽に全身全霊を
ーーテクノロジーの進化により誰でも簡単にクオリティの高い楽曲の制作を行える時代ですが、プロとアマチュアの音楽において違いはどこに表れると思いますか?
これだけ多くのツールがあって、それを使うことでいろんなことができるし、すごく簡単に曲を作れることはとても素晴らしいことだとは思います。
しかしテクノロジーの進化による危険性として、その便利さから、プリセットのサウンドのみを使っていると、結局みんなが同じサウンドになってしまいます。
すごく一般的な話をすると、逆に道具がありすぎて簡単にできてしまう方が、なかなかおもしろい作品や凝ったサウンドが生まれてきません。
昔は少ない道具で工夫して、すごく特殊なサウンドを作っていたと思いますが、現在はそこまで実験的なことをするアーティストは少ないですね。
また、競争の激しい世界ですから、売るためには流行のサウンドを制作しなければいけないので、気付くとそれほど多くの人が、実験的なことをしている訳ではありません。
Kerri Chandlerによるレクチャー
Photo:Yasuharu Sasaki
出典:Red Bull Content Pool
ーー多くの有名ミュージシャンとお会いされていると思いますが、プロのミュージシャンになるために必要な要素は何だと思いますか?
音楽でプロになるためには、それに全身全霊を注がないとやっていくことは不可能です。
自分のすべてを音楽に注ぎ込む熱意が必要で、実際に成功した場合でも、昔のようにレーベルがバックアップして、壮大なプロモーションをしてくれる時代ではありません。
多くのミュージシャンが自分自身をマネージメントして、自分で自分を売り込まなければいけないので、創作だけに専念できない状況ではありますが、多くの時間と情熱を注いで、自分らしいサウンドを見つけて、思い描いた音楽をしっかり創ることが大事だと思います。
そこまでやらないとやっていけないほど、音楽は厳しい世界です。
クリエイターが必要とする機材が完備されたスタジオや、各ジャンルの第一線で活躍するアーティストのサポートなど、RBMAは最先端の音楽を学ぶためには世界屈指の環境であることは間違いありません。
期間中はアカデミーの他にも、各ジャンルのトップ・アーティストを迎えて毎週末クラブイベントが開催されたり、日本を象徴する場所などでイベントも開催されていました。
開催される都市の文化と音楽を融合させるRBMAのスタイルは、音楽の新たな楽しみ方を提示してくれました。
今回開催されたRBMAに触れてみて、音楽を軸にあらゆる国のカルチャーを吸収できることがRBMAの最も素晴らしい魅力なのだと言うことを実感しました。
エリック・ブロイヤー(RBMA専任スタジオ・エンジニア)
90年代半ばからスタジオ・エンジニアとして活動を開始。世界的に知られるSuper-rappinミックステープを手掛け、自身の運営するBreweryスタジオではGeorgia Anne Muldrow、Rush Hour、Ta’RaachにSonar Kollektivなどに芸術的な音響環境を提供。2004年からRBMAのスタジオ・エンジニアを担当。
アイキャッチ画像出典:Red Bull Content Pool