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CULTURE

ブラックミュージックの発展に貢献したラジオ・ディスクジョッキーのパイオニアの数奇な生涯

アメリカのラジオ・ディスクジョッキーとして知られるJoseph Deighton Gibson。彼は、ブラックミュージックを一つにしようと多くの活動を行い、90年代中頃には世界最大のヒップホップの集会「Jack the Rapper」も主催していました。ブラックミュージックの世界において大きな功績を残した彼ですが、現在ではその名前が注目されることはありません。黒人音楽の発展に寄与しながら、ひっそりとその人生を終えたJoseph Deighton Gibsonについて語られた海外メディアFact Magazineの記事が話題となっているので紹介します。

ラジオの設立による黒人音楽の新たな幕開け

シカゴに生まれたGibsonは、俳優としてラジオに出演したのをきっかけに、ラジオのディスクジョッキーとして活躍することになります。早口で喋りかける彼のスタイルは、その後のディスクジョッキーに影響を与えました。その人気はシカゴだけにとどまらず、1949年には、アトランタで黒人による黒人のためのラジオステーションWERD-AMの設立に寄与します。初めての放送は、Gibsonの「We are here! We are here!」という声と共にスタートしたそうで、新しい時代の幕開けをリスナーに届けました。

Jack with Babyface and L.A. Reid
Jack with Babyface and L.A. Reid

出典:cuepoint

公民権運動での活動とキング牧師との親交

この頃アメリカでは、黒人が公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った公民権運動が高まりを見せており、Gibsonはその中心的な存在として役目を果たしていました。WERD-AMは、黒人による人種差別撤廃運動を行う団体のSouthern Christian Leadership Conference(SCLC)と同じビルに位置し、SCLCの創設者キング牧師のオフィスの真上にスタジオがありました。ちなみにキング牧師の始めてのラジオ出演はWERD-AMだったそうです。彼が設立した黒人のディスクジョッキーのためのラジオ・アナウンサー協会が、1967年に行った会議では、キング牧師が、黒人のディスクジョッキー達に、白人と黒人の若者をつなぐ「パワフルな文化の架け橋」を作ってくれたことに感謝の意を表しました。

joseph-deighton-gibson-1出典:Foter

協調してブラックミュージックを一つに

Gibsonは、Jack the Rapperというペンネームで注目アーティストや最新ヒット曲についての執筆も行っていました。彼の評論は時折、ブラックミュージック業界に対して批判的な記事も書かれていたようで、そのリアルな評論は業界人にとって無くてはならないガイド的な存在でした。

そのような活動を通して彼は、全てのブラックミュージックを一つにした大きな集会を開催したいと考えるようになります。そして1977年のブラックミュージック月間に、排他的側面を無くし全てのブラックミュージックに携わる人々を受け入れる集会としてJack The Rapper’s Family Affairを開催します。この集会は成功を収め、各界の有力者や活動家、宗教的リーダーなども集まるようになりました。

世界最大のヒップホップ集会の隆盛と衰退

全ての人々を受け入れるというコンセプトはヒップホップ・コミュニティに対しても同様で、Gibsonは暴力的な印象を持たれ始めていたヒップホップを排除することはありませんでした。1993年のJack The Rapperには、Tupac、Wu-Tang Clan、Snoop Dogなどの当時を代表するラッパーが出演しましたが、彼らは売春婦を買ったり、人々を傷つけるような発言をしたりと、混乱と失望を与えるに過ぎなかったようです。

出典:YouTube

そのような状況のなか、ヒップホップレーベルDeath Row Recordsの創始者Suge Knightと、2Live CrewのLuther Uncle Luke Campbellが衝突し、会場はカオス状態となり、警察も出動する騒ぎとなりました。会場には、10,000人もの参加者がいたそうで、その中には、業界で権力を持とうとするラッパーやギャングスタ、ハスラーやその取り巻きが多く含まれていたそうです。その後のJack The Rapper Family Affairでも暴力は無くならず、スポンサーもいなくなり、1996年が最後の開催となりました。

音楽で人をつなぐ

Jack The Rapper Family Affairの消滅とともに多くの人たちに見捨てられ公の場から姿を消したGibsonは、2000年に無一文の状態で亡くなりました。ブラックミュージックに貢献し続けた彼が、それまでのブラックミュージックを基に誕生したヒップホップにより破滅の道をたどるという、なんとも皮肉な結末を迎えてしまいました。

現在、Gibsonを称えるモニュメントは一切無く、Wikipediaのページすらありません。しかし彼は、キング牧師が述べた「パワフルな文化の架け橋」を作り、黒人文化の自由を守りました。彼が大きく取上げられることはありませんが、その功績により、ブラックミュージックが世界中で聴かれるようになったことは間違いのない事実です。音楽がある限り、音楽で人をつなぐという彼の思想はこれからも生き続けていくことでしょう。

引用元:Fact Magazine
トップ画像出典:cuepoint

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