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CULTURE

マッシブ・アタックやポーティスヘッドなど多くのアーティストを輩出するブリストルの音楽的歴史

Massive Attack、Portisheadなどの世界的なアーティストを輩出してきたイギリスの港湾都市ブリストル。ブリストル・サウンドとも言われる彼らの音楽は、果たしてどのように誕生したのでしょうか?ここでは、ダークで独自性の強いブリストルサウンドの歴史に迫ってみたいと思います。

ブリストルに影響を与えたジャマイカン・カルチャー

1950年代から60年代にかけて、カリブ諸国からイギリスへ最初の集団移入が始まった時、新しい国で散り散りとなったコミュニティーをつないだのがサウンドシステム・カルチャーでした。サウンドシステム・カルチャーは、ロンドンを始め各地方都市で広がっていきましたが、Enterprise Imperial Hi FiやFroggy(Excalibur)などのシステムが誕生したブリストルのジャマイカン・コミュニティーで大きく発展を遂げました。

bristol-music-culture-froggy出典:The Vinyl Factory

ブリストルが、イギリスのポップカルチャーの発信地として台頭してきた1970年代も終わりに差し掛かったころ、ヒップホップとダブが人気を集め、ギター中心だったポップミュージックはラップや電子音と融合していきます。そして、多くの音楽シーンが共存していたブリストルでは、ジャマイカのカルチャーにインスパイアされたポストパンク、レゲエ、ファンクのバンドが、サウンドシステムを使って様々なパフォーマンスをするようになります。

このブリストルのサウンドシステム・シーンのレジェンドと呼ばれているのがFroggyです。彼は、地元で熱烈な支持を集めるアーティストで、Massive Attackの前身であるThe Wild Bunchを、当時前衛的な若者が多く集まっていたセントポール地区へと誘い、ブレークするきっかけを作った人物と言われています。

シーンの中心的人物が集ったThe Wild Style

1983年のWild Style(初めてヒップホップをテーマにしたアメリカの映画)の公開は、ブリストルにヒップホップというジャンルを強く印象づけました。特にその影響を受けたのがThe Wild Bunchです。The Wild Bunchは当初Nellie HooperとGrand Marshall(Daddy G)の2人だけでしたが、その後に、Claude Williams、DJ Milo、Robert Del Naja(3D)、Andrew Vowles(Mushroom)とAdrian Thaws(Tricky)が加わりました。The Wild Bunchのヒップホップ、レゲエ、ロックが融合した音楽は人気を集め、トリップホップというジャンルが確立されます。

そして1985年、The Wild Bunchのライブを見に来ていたGeoff Barrow、Beth Gibbons、Adrian Utley、Dave McDonaldにより、トリップホップにおけるもう一つの最重要グループPortisheadが結成されました。この動画では、ブリストルを代表するアーティスト達が紹介されています。

Massive Attackの誕生と成功

1989年に、DJ MiloとNellie HooperがThe Wild Bunchから離脱し、残ったDaddyG、3D、MushroomとTrickyでMassive Attackとして活動を始めます。1990年にはVirgin Recordsと契約を結び、ファーストアルバムBlue Linesをリリースし、高い評価を受けます。Blue Linesは現在でも名盤とされ、音の構成は異なるものの、ブリティッシュ・ヒップホップのパイオニアとも称されています。

出典:YouTube

そして、シューベルトのUnfinished Symphony(交響曲第7番)をもじったUnfinished Sympathyがヒットを収めた彼らは、多方面から称賛されました。このトラックでは、オーケストラを動員してかの有名な旋律を再現しており、トリップホップを代表するトラックといわれています。

出典:YouTube

Massive AttackのセカンドアルバムProtectionをリリース後に、Trickyはグループを脱退しソロアーティストとして活動を始めます。以降にリリースされた、DJ Shadowの「Endtroducing」、Björkの「Debut」、Portisheadの「Dummy」などの名盤により、トリップホップは世界的に認知される音楽ジャンルへと成長を遂げました。

出典:YouTube

しかし、Massive AttackやPortisheadは、自分たちの音楽がトリップホップと呼ばれることに疑問を抱いたり、嫌悪を表したりしており、そのようなことから、今ではエレクトロニカとして扱われることが多くなりました。名称はどうあれ、彼らが作り上げた音楽は、世界を魅了し、現在も進化を続けています。

ジャマイカを旅立ったレゲエが、そう長くない期間でブリストルの音楽シーンと融合し、Massive AttackやPortisheadのような現代の音楽に影響を与えるほどの音楽にまで成長したことと、それがブリストルのような地方都市で起こったということは、驚くべきことだと思います。しかしそれは、奴隷貿易の一つの拠点であり、Froggyのようなシーンを正しい方向へ導くカリスマ的なアーティストが存在したブリストルだからこそ、必然的に誕生した音楽なのです。

引用元:
The Vinyl Factory
DJ TechTools

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